【考察】トゥルーマン・ショーとは何だったのか

トゥルーマンショー 趣味

こんにちは、ぽむです。

私、にわかではあるのですが、映画が好きでして、ちょくちょくみたり、おすすめを聞いたりするのです。

今回見たのは『トゥルーマン・ショー』。1998年公開のものです。

 

あらすじ

トゥルーマン は、シーヘブンという島に住むそろそろ30歳の男性。平凡だけど、

 

 

考察

構造的な面白さー見る者、見られる者、魅せる者ー

・サボって釘付けの監視と本気で働くキャスト

 

リアリティーとリアルは別物

リアリティーとは、現実らしさをいい、一方で、リアルとは現実そのものをいいます。

トゥルーマンの住む街は、街中の建物、人、モノ全てが用意されたもの、すなわち偽物で、トゥルーマンにあたかも「普通の人生」を送らせるためだけに存在しています。

つまり、全て虚構であるがゆえに、トゥルーマンの自然な動きを引き出し、リアリティーを生み出しているのです。

しかし、嘘100%の空間からいわば意図的に発生させたトゥルーマンの「自然な」リアクションは、果たして現実のものと言えるのでしょうか。

また、作中では、世界中の人々がトゥルーマンを好んでいて、しばしばその映像を見て、喜怒哀楽をともにしています。

彼ら視聴者は、煎じ詰めれば面白みのないリアルよりも、面白い虚構を好んでいるのかもしれません。

感情移入の傲慢さ

前述のように、(特に後半)シーンの要所要所で、視聴者がトゥルーマンの行動に応援し、感動し、そして熱狂している様子が映り出されます。

これは、まあ簡単に言えば、「トゥルーマン頑張れ!」だの「よくやった!」だの、そういう気持ちの現れだとも言えるわけですが、視聴者たちは自分としてはトゥルーマンに対して感情移入して、自然に出た言葉なのでしょう。

もっとも、視聴者は、トゥルーマン をずっと見てきたのみで、同様の経験をしたわけではありませんから、本当の気持ちなんて絶対にわかりっこないのです。

それを、トゥルーマンが「(外の世界を知りたいと思っているだろうから)応援してやろう」と思って、一緒にううう〜なんてやってるのは、傲慢であり、アホなんです。その感情を生み出させる演出をしたクリストフの手の内に踊らされているわけですから。

また一方で、シーヘブンからの脱出を、トゥルーマンにとっての幸せと捉え、テレビを前に願うシルビアでさえも、自らの幸せの価値観を押し付けているという点で、傲慢であると言えるでしょう。

トゥルーマンの本心は、トゥルーマン自身にしかわからないのです。

商品化された人生と

消費者

消費者は、トゥルーマンの人生を楽しみこそすれど、それを受け入れて、シルビアのように抗議活動をするわけではありません。

ここには、

・トゥルーマンの生活は商品である
・トゥルーマンショーはテレビ番組である
・トゥルーマンの生活に自分に入らない(入れない)

という無意識が働いていると言えます。

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